日々考えていること

ゆるゆりと生きたい

言い訳

こんばんは

 

突然ですが、言い訳はする方ですか?しない方ですか?私は紛れもない前者歴十数年のエリートです。

 

昨日、買いたかった漫画を購入して呼んでたんです。そしたら

「後付で出来ない理由探すのだけはみんな得意だよね」

という言葉に目が止まりました。

 

少女漫画を読んでいたはずなのに、人生の教訓みたいなものが横から殴ってくるんですから、面白いものです。

 

少し自分の話をします。

 

私はよく言い訳をする人間です。後付でなく何かを行動する前の段階なのでよりタチが悪いです。

 

なんで言い訳するのかって、理由は単純です。自分が失敗したことによって自分に才能がないことが分かるのが嫌だからなんですよね。この漫画の登場人物と私の心情は瓜二つでした。(その後、登場人物くんは自分の弱さに気付き、動き出します。ほんとえらい。)

 

才能があるかないか、というか、無いことを突きつけられるのが怖いからって逃げてる人について、自分の事はひとまず棚に上げて少し考えました。

 

まずは才能について。私は才能が先天的だということは基本的に、信じてません。子供の時の環境だったり、親の経済力だったり、その親の子に対する考え方だったり。子供の時に親に押し付けられた理想像をどう受け止められるか、受け止められないかによって後々才能があるかないか言われるのだと思います。

そう考えてみると才能は先天的(生まれたその環境次第)でもあり後天的(環境とその時の自分次第だから元々備わってるものでない。よって後天的)であると私は考えます。後天的の判断が否定的に証明してるので、どうかと思われる方もおられるかもしれませんが。よく遅咲きで、子供の時は全然ダメでなんて言ってる方もおられますが、今はその人たちについては考えないものとします。

 

才能は無くても、人より優れることは出来ると思います。その方法が努力、継続であると私は考えます。なんだかんだ才能だなんて言われてる人も、子供時代からの努力の継続のスパンが長いから、才能なんて言葉で片付けられているのだろうな、と思います。私の考えなので間違っているかもしれませんが。

 

なので、まず才能があるかないかを気にするということ自体おかしいことなんだと思います。才能があるかないかなんて、傍から見た評価に過ぎなくて、結局は努力の継続をしてるかしてないか、もうそれだけなんですよね。

 

成功した人の中には努力なんてしてこなかったと仰る方もいると思います。高学歴の方で1日少しだけしか勉強しなかっだとおっしゃる方もいます。私は少なからず高学歴の方とお話しする機会があるのですが、そういう方々とお話していていつも感じるのは『勉強に苦労しなかったと仰る方で幼少期に頑張るコツを掴んでいる人がほとんどだ』ということです。多分、そういう人達は幼少期に努力をしているんだろうな、と感じます。

 

幼少期に頑張ってるか、今頑張っているか、どっちが偉いかということを私は言いたい訳ではありません。そういう人達も努力をしているということです。

 

ここまで書いて背に腹を変えられなくなったので私も言い訳なんてダサいこと、やめてやるぞって気持ちになってます。今だけかもしれませんが。

 

この文章が誰かの背中を押す役割を少しでも担えたなら、こんなに幸せなことはないなと思います。

 

お互いに頑張りましょう。ではまた!