日々考えていること

ゆるゆりと生きたい

五月病

こんばんは。前回の投稿からそんなに期間が空いてないですが、なんとなく投稿してみます。ほんのり月末更新っていう自分の中のイメージがあったんですけどね。まあいいや。

 

元号になったことに気を取られていて5月になってしまっていることに気づいていませんでした。もう五月病の季節ですか。

 

ゴールデンウィークで10連休ありましたが、やはり10日も休んだら復帰するのに大変な気力を要するんだなあ、と物凄い自覚しています。しんどいです。なのに授業に出席している人数は一向に減る素振りもなくて驚きます。みんなえらいな。みんな来なくなってるけど毎日大学に行く自分えらい、と自己肯定する計画だったのですが、失敗に終わりました。残念。

 

自分の過去のブログを見てるとべらぼうに意識が高くて驚きます。そして若干肩身が狭くなります。こんなにダメな大学生になってごめんねって感じです。でも頑張らないとなあ…という気持ちになるのでブログやっててよかったなあって思います。どんどん言葉に鋭さが無くなってきてるのはブログに対して構えなくなったせいだということにしておいて下さい。私はそうします。い、意識が低くなったからじゃないんだからね!

 

最近友人とご飯に行く時に恋人の話を聞かせてもらいました。毎日電話してる、毎日連絡をとってると言ってました。…凄くないですか?私は毎日同じ人と電話とか1週間でしんどくなる自信があります。たとえ恋人であっても。連絡を毎日とるっていうのも1ヶ月(下手したら2週間)続かないだろうな~と思います。多分、ですけど私は他人との距離が近くなればなるほど自分の時間が欲しくなるんだと思います。人といる時間も好きですが、それと同じくらい一人でいる時間も好きなんだと思います。だからある一定の人とずっと近い距離感で過ごすことは自分にとってとても負荷がかかることなんです。なら自分と似た考えの人と付き合えばいいじゃん、と言われますが自分と似た価値観だからといって安直に付き合いたいと思わない訳で…うーん、恋愛って難しいです。幸い、自分が一緒にいて楽な人が周りにいるのでいいやとは思ってますが、その人に恋人がもし今出来たらその人と距離を置かねばならないという事になるのでそれはそれで嫌だなぁと思います。まぁ今は急がなくてもいいかな~なんて。甘えてます。

 

 

五月病に負けないで、とは言いません。しんどいものはしんどいし、頑張りたくないなら頑張らなくてもいいと思います。でも、未来の自分が後悔しないように、それなりに最低限はやるようにしたいなって思います。…やってやりますか。

新しい環境

身の回りの環境が変わり、少し落ち着いた頃になりました。ゴールデンウィークまであと1週間。毎日しんどいなあって思ってる人はもう少し、踏ん張って耐えよう…!私も頑張ります。

 

最近ごく稀に、ですが自分って何者なんだろうなって思ったりします。…病んでる人みたいな思考してますね笑

 

色々な人に関わっていると、やっぱり自分よりも知識量が多くて頭の回転が早くてやる気に満ち溢れてる人ってほんとに沢山いて。毎回凄いな、なんでそんなにできるんだろうって感心するばかりなんです。そんな人が私の身の回りですぐに見つかるぐらいなら全国探せばそういう人は数えきれないぐらいいるんだろうなって思います。そうすると、あれ、自分じゃなくてもいいな、なんて思ったりするんですよね。端的に言ってしまうと上位互換の存在に気づいてしまうんです。

 

小さい頃は持ち前の視野の狭さから、世界は自分の周りの環境だけで完結するもので、自分はなんにでもなれる可能性を秘めてるんだ!って思ってたんですよ。でも全然現実はそんなことなくて。自分の代わりなんて沢山いるな、と悲しくなるばかりです。

 

最近はそういう自分の至らない所をしっかり自覚して、そんな自分でもできることはないかな、って探すようにしてます。みんなができることをやったとしても、それを成功に導いたのは私だ!って勘違いしてる方が随分気が楽です。自分じゃない人がやったら…とかいう答えのない仮定の問いを考えて落ち込むくらいなら、何も出来ない自分でも出来ることを精一杯やってみて、上手くいったら素直に喜んで、ダメだったら他の人にやってもらおうって思うようにしてます。ものすごいポジティブだ笑

 

上位互換が沢山いるより、いざとなったら代わりがいるって捉え方をしたら、私と同じようにしんどい思いをしてる人は少し楽に生きる事ができるかもしれません。捉え方を変えるってかなり大事なことだ…

 

頑張るって本当に大変なことで、気力も体力も必要だと感じます。なので今自分頑張ってるな、えらいなって自分を褒めて上げるのもたまには必要だなって思います。私は人より自虐的で自分に厳しいので少し難しいことですが。意識的にやっていきたいです。

 

毎日しんどいけどお互いがんばりましょう。では今日はこの辺で。

驚く程に定期的ですね、

こんばんは、お久しぶりです。お元気ですか。

 

丁度1ヶ月ぐらいのスパンで書けてますね。良い傾向(?)。月末に思い出したように書くと、その月のまとめみたいな感じになってて面白いです。ここ最近の心情を書いてるだけなんですけどね。

 

最近は人と比べないことは大切だなあと思います。自分にとって、ですが。高校生っていう身分はみんなやることが決まってて、どうしても優劣が簡単に分かってしまいますが、大学になると学びが専門的になってきて、段々丁度良いぐらいの勉強の「他人感」が出てくる気がしていて、心地良いです。

 

最近、友達にクラシックを勧められて聴いてみたら想像以上に良くて驚きました。長いから短気でせっかちな私には肌に合わなくて敷居が高いものだと思ってましたが…。偏見は良くないですね。

 

人間誰しもこういう人は苦手だなあ、と思うことがあると思いますが、その気持ちを言語化することによって自覚する事は良いことではない(自分の為にならない)な、と思います。言語化せずになんとなく、ちょっとした違和感を感じながらでも人と付き合ってる方が、相手を必要以上に遠ざけてしまわない気がします。必要以上に人を遠ざけることによって後々後悔しそうだなあと思うし、自分自身あまりいい気がしませんから。言語化の取捨選択は慎重にしたいです。私に決定権あるのかって話ですけど笑

 

めちゃめちゃどうでもいい話なんですけど、最近異性の方とご飯を食べに行った時にソファ席に促してくれたりドアを開けて待ってくれてたりする紳士的な行動に驚きました。日本ってレディーファーストの文化あんまり無くないですか…?奢ってくれる、とかよりも断然こういう行動の方が嬉しいです。あっ、もちろん奢ってくださるのも嬉しいですけど。でもなんというか、物理的でない精神的な面での気遣いって大事だなぁと思いました。私は女なのでレディーファースト紛いのことはなかなか出来ませんが、感謝の言葉は忘れずに言いたいです。はい、この話おわりです笑

 

 

ほんじゃ、今回はここら辺で。お互い頑張りましょうね

最近のこと

こんばんは、お久しぶりです

 

私は継続して何かをすることができないので、ものすごく期間が空いてしまいました。でも、義務感を感じずに上手いこと楽しめてると思います。ブログ楽しいです。

 

最近YouTuberの「inliving」さんの動画をよく見ます。あの方の動画を見ると背筋が自然と伸びますね。あんな生活憧れます。頑張らないと。

 

あとは、何でしょう。大学の数学の授業では線形代数をやって、微分積分学をやらないのでさいきん微分積分学の勉強してます。ゆっくりなペースなんですけど、頑張りたいです。

 

分からないことに対して素直に「分からない」と言うように心掛けてます。プライドが邪魔して上手くいかないですが。素直に生きたいです。

 

短いですが眠たくなってきたのでこの辺で。おやすみなさい

言い訳

こんばんは

 

突然ですが、言い訳はする方ですか?しない方ですか?私は紛れもない前者歴十数年のエリートです。

 

昨日、買いたかった漫画を購入して呼んでたんです。そしたら

「後付で出来ない理由探すのだけはみんな得意だよね」

という言葉に目が止まりました。

 

少女漫画を読んでいたはずなのに、人生の教訓みたいなものが横から殴ってくるんですから、面白いものです。

 

少し自分の話をします。

 

私はよく言い訳をする人間です。後付でなく何かを行動する前の段階なのでよりタチが悪いです。

 

なんで言い訳するのかって、理由は単純です。自分が失敗したことによって自分に才能がないことが分かるのが嫌だからなんですよね。この漫画の登場人物と私の心情は瓜二つでした。(その後、登場人物くんは自分の弱さに気付き、動き出します。ほんとえらい。)

 

才能があるかないか、というか、無いことを突きつけられるのが怖いからって逃げてる人について、自分の事はひとまず棚に上げて少し考えました。

 

まずは才能について。私は才能が先天的だということは基本的に、信じてません。子供の時の環境だったり、親の経済力だったり、その親の子に対する考え方だったり。子供の時に親に押し付けられた理想像をどう受け止められるか、受け止められないかによって後々才能があるかないか言われるのだと思います。

そう考えてみると才能は先天的(生まれたその環境次第)でもあり後天的(環境とその時の自分次第だから元々備わってるものでない。よって後天的)であると私は考えます。後天的の判断が否定的に証明してるので、どうかと思われる方もおられるかもしれませんが。よく遅咲きで、子供の時は全然ダメでなんて言ってる方もおられますが、今はその人たちについては考えないものとします。

 

才能は無くても、人より優れることは出来ると思います。その方法が努力、継続であると私は考えます。なんだかんだ才能だなんて言われてる人も、子供時代からの努力の継続のスパンが長いから、才能なんて言葉で片付けられているのだろうな、と思います。私の考えなので間違っているかもしれませんが。

 

なので、まず才能があるかないかを気にするということ自体おかしいことなんだと思います。才能があるかないかなんて、傍から見た評価に過ぎなくて、結局は努力の継続をしてるかしてないか、もうそれだけなんですよね。

 

成功した人の中には努力なんてしてこなかったと仰る方もいると思います。高学歴の方で1日少しだけしか勉強しなかっだとおっしゃる方もいます。私は少なからず高学歴の方とお話しする機会があるのですが、そういう方々とお話していていつも感じるのは『勉強に苦労しなかったと仰る方で幼少期に頑張るコツを掴んでいる人がほとんどだ』ということです。多分、そういう人達は幼少期に努力をしているんだろうな、と感じます。

 

幼少期に頑張ってるか、今頑張っているか、どっちが偉いかということを私は言いたい訳ではありません。そういう人達も努力をしているということです。

 

ここまで書いて背に腹を変えられなくなったので私も言い訳なんてダサいこと、やめてやるぞって気持ちになってます。今だけかもしれませんが。

 

この文章が誰かの背中を押す役割を少しでも担えたなら、こんなに幸せなことはないなと思います。

 

お互いに頑張りましょう。ではまた!

細かすぎ?

突然ですが「~してあげるよ」という表現が私は嫌いです。「ご飯よそってあげよっか」よりも「ご飯よそおうか?」っていう表現が好きです。

 

昔からちょっとした表現の違いに敏感なので、私は物凄く違和感を感じたりするのですが、みなさんはどうでしょうか?

 

私の好きな小説に、こんなことを言ってる人物がいました。

「心配してあげるんじゃなくて心配したいからしてるんだよ」

ああ、これだって思ったんですよね。~してあげるって、一見すると思いやりがある言葉かも知れないけど、少し押し付けがましくなってしまうんですよね。その心配をすることによって自分は優しい人だということを表したいのかな、なんて私は汚い人間なので思ってしまいます。

 

相手によって心配の仕方を自然と変える人、例えばこの人だったら放っておこうとか、あの人だったら話を聞いてみようとか、そんなことを思える人は、心配『してあげる』ではなく心配『したい』と思える人なんだろうな、と思いました。

 

私もそんな考え方ができるような人になりたいな。

 

パーフェクトワールド

この前映画化されると話題?になっているパーフェクトワールドという漫画をよみました

 

主人公は車椅子の男の子と高校の同級生で、会社の仕事で再会した女の子。

 

最近障害者でなく障がい者と表記する場合が多くなったそうですね。害ではないから。害と決めつけるのは、それはそのような障がいを負った人々全てを否定することになりますからね。最近は英語圏でも障がい者をpeople with differential able(違うことができる人)とかなり前向きに捉える動きも見られるそうです。

 

私はまだ2巻目までしか読んでないにわかなのですが、その2巻の中で思ったことをすこしですが、書こうと思います。

 

まずかなり印象的だったのは健常者から主人公(車椅子の男の子)に向けられる容赦ない視線でした。

 

車椅子の占める面積は人ひとりのそれとかなり違いますから、例えばエレベーターに車椅子の人が乗ってきた時に車椅子のせいで自分が今窮屈だと思うのは自然だと思います。

 

その窮屈さからくるイライラだったりをその車椅子の人にぶつけてしまう、ということがあるんですよね。私には態度に出したことがないとは言えません。

 

今、この本を読んだ後で自分が車椅子の人に対して接していた態度を振り返ると、ほんとうに馬鹿なことをしてしまったと思います。

 

誰もが車椅子に乗りたいから乗ってないのに。その人は何も悪くないのに迷惑な存在として扱われるって、どう考えてもおかしい事だし、逆に幸い何の障がいがない私たちが手を差し伸べなきゃいけないのに。

 

この本の題名、パーフェクトワールド、つまり完璧な世界って、私たち健常者が満足しているだけでは作れないと思うんですよね。

 

様々な視点を身につけろと散々言われて生きてきた意味をこの本を通して再確認出来たきがしました。ぜひ御一読を。

 

私たちと障がい者というように差別的な表現をしてしまいました。この文を見て不愉快になった方がいると思いますが、どうかお許しください。